実家は三重県の旧紀伊長島町(紀北町)の回船問屋。地元の炭や縄などを運び、米や茶わんを仕入れる仕事だった。戦争が激しくなると、民間の船も敵機や潜水艦に狙われた。食料が入らなくなり、生活は厳しくなった。
1944(昭和19)年12月7日、東南海地震が起きた。国民学校4年だった。午後の裁縫の準備で、2階の和室にいた。地鳴りと激しい揺れ。階段へ逃げたら、壁土が落ちてきた。別の階段へ走った。
やっと運動場へ。埋め立て地で、地割れがひどかった。子どもの足が入ってしまう。誰かが「砂浜やったら地割れがないぞ」。そっちへ逃げようとしたら、今度は「津波がくるぞ」。山へ向かった。
途中で会ったおばさんが「あんた、裸足やないか。げたを余分に持っとるで、履きな」。その時、足の裏で激痛がした。画びょうが刺さっていた。
津波が見えた。最初は引き潮で、海の底が見えた。造船所の船が流され、橋にぶつかって壊していった。屋根に瓦がついたまま、家が沖へ流されていった。町中が水浸しだ。さっきまでいた運動場にも水がきた。
父が山伝いに迎えにきた。あ…
戦時下の東南海地震 三河地震そして空襲 逃げ回った日々:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル
Read More
No comments:
Post a Comment